レイモンド・マシエロ、タンタンの友人が去る  
 
Chlorophylle, Chaminous, Sibylline, Clifton, Mirliton とPere la Houleで誰を思い起こしますか?

レイモンド・マシエロが84歳で亡くなりました。彼は、1924年3月30日ベルビエ(ベルギー東部)で生まれました。彼は、1953年に“タンタン新聞”に参加する前は、ベルビエの日刊新聞“The Couier”の記者で、そして雑誌“Pan”の風刺絵の下絵を描いていました。いくつかの物語を書き始め、のちに“The White Knight”(フレッド・ファンケンがデザインした)の物語を書いた後、彼は、すばらしい動物の物語“Chlorophylle and Minimum”(1954年)、続いて“Pere la Houle”(1954年)と“colonel Clifton”を創作しました。
この最後のキャラクターは、彼が海軍兵士として英国に在住していた時に出会った英国陸軍兵士からインスパイアされたものです。

1964年、彼は子供向け雑誌“Spirou”で働くためにタンタンから去り、そこで彼は“Chiminou and the Khrompyre”を、そしてそれから1965年からスタートした“the Sibylline“シリーズを創作し、続いて“Pantoufle”(1966年、Rene Goscinnyの物語を基にした)と“Mirliton”(1970年、ラウール・コヴァンと一緒に)をクリエイトしました。

レイモンド・マシエロは、戦前の数年間タンタンの展開に彼がどれ程貢献したかを決して話しませんでした。彼が“ミルゥ”と名づけた犬を飼っていたことさえ!
 
晩年に過ごしたベルギーのハイフェンズのポルールで、彼は油絵を描きました。

彼は、自然、自由、道理、そして人との調和へのエルジェの愛しみを共有していたのです