MICHAEL TURNER (1929-2009)  
 
マイケル・ターナー、安らかに眠る。

「タンタンの冒険」をレズリー・ロンズディールークーパーと共同で英訳をおこなったマイケル・ターナーが、7月10日金曜日、永眠しました。

メスエン社がタンタンの冒険シリーズの出版権を取得した1950年代中頃、マイケルとレズリーはメスエン社で編集者として共に働いていました。

当時、コミック本は子供たちには適切な文学物とはみなされておらず、図書館においてもコミック本の蔵書は嫌がられていました。コミック本の市場性もまた、限定されたものでした。

しかし、マイケルとレズリーはこの冒険シリーズに大変熱心で、無報酬で最初の一話を英訳することを会社に申し出たのです。

実際、彼らはトライアルとしてオトカル王の杖となぞのユニコーン号を翻訳しました。そしてその後に支払われたこれらの翻訳料は驚くほど小額だったのです。

続く出版の売れ行き予測が組み込まれたThe Times Literary Supplement(「タイムズ文芸付録」)のフロントカバーでの扱いは、タンタンの冒険の更なる出版の需要を呼び起こしたのです。

マイケルとレズリーは、登場キャラクターたちにSnowyとProfessor Calculusという英語名をつけ、Captain Haddockの語彙にはユニークな翻訳で英国人を楽しませてくれました。" Billions of blue blistering!"("なんとナントの難破船、コンコンニャローのバーロー岬!")

マイケルとレズリーの両者は、タンタンの冒険の翻訳に彼らのプロフェッショナルとしての感性を注ぎ込み続けたのです。

大の親英家だったエルジェは彼らの英訳に積極的な関心を持ちました。

マイケルとレズリーは頻繁にブリュッセルを訪れ、エルジェもまた、英国にたびたび赴き、彼らは友人となったのです。数年前、キャスターマン社はマイケルとレズリーに未発刊の復刻本の翻訳を依頼しました。

何とマイケルとレズリーふたりのタンタンの冒険の翻訳との関わりは半世紀にも及んだのです。

2004年に大成功を収めたグリニッジ・国立海洋博物館での"Adventures of Tintin at Sea"博で、マイケルとレズリーは彼らの翻訳のメソッドについてのスピーチを行いました。

それは、我々を魅了させる彼らの見識力であり、そして彼らが互いに持つ相互間の尊重と愛情が強く表れたものでした。

マイケルは、大の模型船コレクターであり、それにまつわる本も執筆しています。

彼のレガシィーは永遠に生き続けるでしょう。

彼の家族に心から哀悼の意を奉げます